2019/03/22
先日娘が小学校を卒業しました。
これくらいの年になると、将来の夢というか、就きたい職業を言葉や文で発表する機会もでてきますね。
我々の業界でも、子供が鍼灸師になりたいと言っただの書いただの、喜んでいる親がちらほら見受けられます。
たしかに、親の背中を見て同じ職業を目指してくれるのはうれしいでしょう。
「忙しそうにしているのを見て、自分も人の為に働きたいと思った」とか、ね。
「実家に就職すれば良いから楽そう」とか、「客がついているから地盤を引き継ぐだけ」とか、「他に思いつかないから」とかだったら頭を抱えてしまいますけれど…。
ただ個人的には、子供が鍼灸師になってくれるよりも“鍼灸に掛る大人”になって欲しいなと思います。
鍼灸の良さを身をもって知っていて、困りごとがあったら鍼灸に頼るような大人に。
実際、うちの患者さんにはそういう方(鍼灸師の子供)がいらっしゃって、掛って頂けることを光栄に思いつつ、鍼灸に失望させてしまうことの無いよう、偉大な先輩からのプレッシャーも感じつつ治療にあたっています。
因みに私の娘は鍼灸師にはならないそうです。
樹木医になるのだとか。
これもまた、親としては涙が出るくらい嬉しいことです。
それは、親を見て育ってくれていると感じられるから。
私は人の手の入った木々や草花に囲まれているのが好きです。(虫は大嫌いですけれど)
里山や田園地帯をノルディックウォーキングしたり、公園でのんびりと過ごしたり。
巨樹・古木を見に行くのが趣味でもあります。
その様な環境に身を置いていると、自分が端なき環の一部であることを強く意識させられるのです。いわゆる東洋的循環思想ですね。
娘は幼いころから私と行動を共にすることが多かったですし、ノルディックウォーキングイベントにもついてきてくれます。
本人も自然が好きだと言っていて、寺社仏閣を巡ることを好みます。
そんな娘が樹木医になりたいと言う。
私の“いかにも鍼灸師”な価値観からの影響を土台にして、将来就きたい職業を選択しているように思えてなりません。
まあ、親の勝手な妄想ですけれどね。
でもそれが、ただ「鍼灸師になる」と言ってくるよりもずっと嬉しいわけです。